BIOGRAPHY〜History of “the ARROWS”〜


→各メンバーのプロフィール

坂井竜二(vocal) / ryuji sakai

坂井竜二
  • 1977年8月12日生まれ/A型
  • 尊敬するミュージシャン:佐藤伸治/JOHN LENNON
  • 好きな鰻屋:いば昇
  • 好きな番組:2時間サスペンス/赤い霊柩車シリーズとか榎本孝明の浅見光彦とか高橋英樹の船長シリーズとか水谷豊の地方記者とか…
  • 最近好きになったカレー:ビーフカレー

山内貴之(guitar) / takayuki yamauchi

山内貴之
  • 1977年12月3日生まれ/O型
  • 尊敬する人:親/エンジニア
  • 趣味:妄想/野球/ドライブ
  • 好きなもの:煙草/酒/中日ドラゴンズ/歴史/ディレイ
  • 嫌いなもの:煙草/洗濯/暑い夏

坂井“キャンディ”昌英 / masahide“CANDY”sakai

坂井“キャンディ”昌英
  • 1977年8月18日生まれ/O型
  • 尊敬するプレイヤー:バーナード・エドワーズ/ジェームス・ジェマーソン/上田ケンジ
  • 好きなブランド:KAPITAL
  • 趣味:ネットオークション
  • 好きな俳優:役所広司


鵜飼孝治(drums) / koji ukai

鵜飼孝治
  • 1977年10月13日生まれ/A型
  • 尊敬する人:丹羽先生
  • 趣味:釣り(海も川も)
  • 好きな魚:鰻/鯰
  • 好きな寿司ネタ:穴子

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→30秒で知ってるつもり編

メンバーは坂井竜二(vocal)、山内貴之(guitar)、坂井キャンディ昌英(bass)、鵜飼孝治(drums)。1977年生まれ、全員愛知県出身&愛知県立松蔭高校の同級生。大学卒業後の1999年頃結成。インディーズ時代は名古屋でバイトしながらゆるりとマイペースに、CLUB JB'Sでの自主企画オールナイトイベント「N2B」を中心に活動し、3枚のアルバムを自分たちで作り発表したが、2枚目のアルバム制作後に鵜飼孝治が脱退、その後サポートドラマーを迎え活動を続け、なんやかんやあり、2006年5月にPONYCANYONからメジャーデビュー。以後、ROCK INJ APAN FESTIVALなどのビッグイベントから全国ツアーまでを数度行い、「踊れて泣けるロックバンド」として全国各地で話題を集める。そして2008年5月、鵜飼孝治が復帰、5人組ロックバンドとしての新生アロウズが始まった…。10月11日のN2Bをもってギターの岩原俊司が脱退。

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→30分でじっくり知る編

高校時代編

1977年生まれのメンバー全員が、愛知県立松蔭高校の同級生。運命の出会いは、まず坂井竜二(以後竜二)と坂井昌英(以後マサ)が同じクラスだったこと。出席番号8番のマサ、同9番の竜二。竜二がマサの後ろの席から肩を叩いたところから始まった。肩を叩いた理由は高校の学園祭でのコピーバンドのメンバー集めのため。「都合良く使えそう」という邪な気持ちから竜二がマサをメンバーに誘い、2人はビートルズのコピーバンド、その名も「ザ・ビートルズ」を結成。マサはベースとして誘われ快諾したそうだが、「ところでベースって何?」と思っていたとか。同学園祭で山内貴之(以後山内)はポリス、鵜飼孝治(以後ウカチン)はローリングストーンズ、岩原俊司(以後俊司)はJ-POPのコピーバンドを経験したことが彼らの初のバンド体験となる。竜二はジョン・リュノン、マサはポール・マッサートニーとして当時から美声とバンドハーモニーを響かせていたそう。その後竜二と山内は、竜二の兄の影響で曲作りに目覚める。竜二が年齢を偽りバイトをして貯めたお金で買った初めてのギターは赤いカジノ。アロウズの楽曲中に登場する赤いギターである。高校在学中の竜二は、毎年同じ女子に告白し振られるという切なくも自虐的な振舞いを同級生に見せていたが、それが現在のアロウズの歌詞世界に繋がっていることは想像に難くはない。ちなみに当時のマサはバレー部キャプテンを務めたほどの体育会系だったが、試合開始のジャンケンが強いという理由で決まった立場のため、実際には勢いのあるベンチウォーマーだったとか。これがバンド内での彼の立ち位置を象徴するものであることは想像に容易い。しかも当時のマサは現在よりも30キロ近くスリムな筋肉美だったようだが、それを証明するものは皆の記憶の一ページのみ…。ウカチンは勉強だけでなく部活にも真面目だったようで、体操部で部長を務め団体で県大会まで出場したそう。だが竜二&山内はバドミントン部、俊司はハンドボール部に所属するも、早々と部活動からフェイドアウトしていく。

【当時よく聴いていた音楽】
竜二⇒ビートルズ
山内⇒NEW ORDER、USインディー、ギターポップ
マサ(キャンディ)⇒ビートルズ
俊司⇒ブルーハーツ、ラモーンズ
ウカチン⇒ハードロック、ヘビメタ

▲「30分でじっくり知る編」

大学時代編

可もなく不可もない曇り空な高校時代を終え、竜二、マサ、山内、ウカチンは大学進学、俊司は浪人生活を送ることに。この頃から5人は共通の友人の自宅を根城にして、数々のいかがわしい遊びを覚えつつ、お酒に溺れつつ、より音楽へと傾倒していく。この頃のマサはDCブランドを着こなす、鼻に衝くファッション野郎だったそう。逆にウカチンは釣りにハマり、周りからファッションセンスがダサいと言われ悩み、生まれて一度も彼女が出来たことがないことでさらに悩むチェリーボーイだった。大学時代の各メンバーの情報は少ないものの、山内は大学中退、竜二はマサの卒業論文の内容をそのまま転用するという悪童ぶり。山内はその後、音楽の専門学校へ通い始め、今のバンド内での立ち位置のキッカケとなる道を歩み始める。

【当時よく聴いていた音楽】
竜二⇒オアシス、ブルートーンズ、オーシャン・カラー・シーン、パルプ
山内⇒NEW ORDER、USインディー、ギターポップ
マサ(キャンディ)⇒ブリットポップ全般
俊司⇒オアシス、ブリットポップ全般
ウカチン⇒オアシス、ウィーザー、Hi-STANDARD

▲「30分でじっくり知る編」

バンド結成編

大学卒業後、ついにthe ARROWS誕生。ザ・ビートルズへのリスペクトを込め、the〜 というバンド名が良かったという竜二が考案。初期メンバーは、竜二(vo、g)、山内(g)、マサ(b)、俊司(ds)という編成。名古屋・新栄のクラブロックンロールでのライブがオリジナル曲で行った初のステージだったが、この1回目のライブでドラムとしての俊司はクビとなる。その後、リバースというバンドで活動していたウカチンがドラマーとして加入、マサの一時脱退や、俊司のギターとしての再加入などを経て、メンバーが固まる。大学卒業後、就職をせずモラトリアム気分のまま何となくスタートしたバンド活動だが、竜二の作るメロディと歌詞は当時から身内以外にも好評で、1999年、軽い気持ちで応募した某レコード会社のSDオーディションの審査を通過し、東京でのコンテストに呼ばれることになる。結果は、自分たちの経験の無さを知るいい機会、というより散々だったようで、ウカチン曰く「スネアの連打で始まる曲だったのに、僕が間違えて大失敗したので今でも思い出して凹みます」と。この事件をキッカケにバンド活動が精力的になったわけでもなく、ゆっくりとした歩みで数年に渡るインディーズ時代が始まっていく。ちなみに竜二がオリジナル曲を作るキッカケは、オアシスを聴いて「これなら俺にも出来る」と思ったこと。当時のクラブロックンロールでの数回目のライブが、現マネージャーがthe ARROWSを初めて目撃した現場で、そのラインナップはGOING UNDER GROUND、GO!GO!7188、the ARROWSの3バンド。この時、メンバーは23才。余談だが、GOING UNDER GROUNDのボーカル松本素生と竜二との悪友ともいえる付き合いはここから始まっていく。当時、竜二の髪型はアフロで、今よりもインパクトのある風貌だった。

【当時よく聴いていた音楽】
竜二⇒サニーデイサービス
山内⇒NEW ORDER、USインディー、ギターポップ
マサ(キャンディ)⇒blur、サニーデイサービス、くるり
俊司⇒フェルト、ギターポップ全般
ウカチン⇒ウィーザー、XTC

▲「30分でじっくり知る編」

インディーズ時代編-その1

インディーズ時代の彼らは、地元名古屋でのバイトと並行して音楽活動を進めていく。このバイト先がそれぞれ、ジャズのライブハウス、ジャズのレストランバー、ライブハウス、クラブ、という音楽が常に身近な場だったことは、今の彼らを語る上で大きな要因の一つ。そんな彼らの活動の中でも象徴的なのは、山内が働いていた「club JB’S」でのバンド主催クラブイベント「N2B GUITAR MUTATION」。ロックが流れるDJイベントという言葉だけでは括れない、自分たちがバンドであることも前面に打ち出した、当時の名古屋では画期的なDJとライブが交互に進む自主イベントで、現場感を大事にするというよりただただ現場を楽しむという姿勢が、地元のFMや雑誌などのメディア関係者にも伝わり自然にシンパを増やしていく。「N2B GUITAR MUTATION」は現在までにclub JB'Sで25回開催。2002年には岡崎のキャンプ場で「N2B CAMP MUTATION」と題し行い、バンド主催の野外フェスとして成功させた(完全DIY精神で行ったため死ぬような思いをしたそうだが…)。また、マサが今の体型へのエスカレーターを上り始めたのは、バイト先のキッチン担当になってからで、順調につまみ食い&劇的創作料理を覚えていく。ウカチンは、竜二が働いていたレストランバーに飲みに行き泥酔して女の子に絶交されたり、夜な夜なクラブへ通い遊ぶ日々だったとか。

▲「30分でじっくり知る編」

インディーズ時代編-その2

名古屋を拠点にしつつ、東京でもライブを始めたのは2001年。初めての東京でのライブは、下北沢GARAGE。一躍注目を集めるバンドとなったわけでもないが、そんな中nomadic records社長・平山氏の目に留まり、初めて音楽レーベルからCDを出すチャンスを得る。それまでは自主制作によるCDR音源(2000年『ハイヤーセルフ』、2001年『風待ち』、2002年『na-geanna』『BEPPIN SHADOW』)を会場販売してきた彼らだが、2003年3月、1stアルバム『東ファウンテン鉄道』でついに全国流通を果たす。全国のインディー・ギター・ロック・ファンからの支持を受け、当時名もない名古屋のインディーズバンドだったにも関わらず、スカパラ茂木氏、クラウドベリージャム、ACIDMAN大木氏、ハナレグミらからアルバムへのコメントが届きメンバー驚く。リリース後には初のワンマンライブを名古屋クアトロで行い、メンバーの友人知人によるあまりの取り置きチケットの多さにクアトロの受付スタッフがキレたとかキレないとか…。もちろんライブは大成功、その後の名古屋でのワンマンライブは毎回名古屋クアトロで行うことになる。当時、山内以外のメンバーは、3LDKのマンションに同居し、俊司とウカチンは同じ部屋で暮らしていたため寝る前によく語り合ったそう。

【当時よく聴いていた音楽】
竜二⇒フィッシュマンズ
山内⇒ダンスミュージック(house、deep house、etc)
マサ(キャンディ)⇒TEENAGE FANCLUB、The Wannadies
俊司⇒RADIOHEAD、My Bloody Valentine、Yo La Tengo
ウカチン⇒Healing Music、エレクトロニカ、サイグレッシブトランス

▲「30分でじっくり知る編」

インディーズ時代編-その3

名古屋以外の大阪、神戸、京都などでもライブを行うようになった彼らは、徐々に活動範囲と人気を広げていき、楽曲制作も順調に進む。その甲斐もあり、2004年7月には2ndアルバム『スターサーカス』をリリース。メンバーのリスペクト絶大なFISHMANS、のサポートで知られるHONZI氏にバイオリンをお願いした『JIVE JIVE』、重鎮ジャズメン・峰厚介氏にサックスをお願いした『着陸寸前冬景色。』、などゲスト陣も豪華なこのアルバムは、インディーズ時代からアロウズを知るファンには人気の高い作品。このアルバムのレコーディングを最後にウカチン(ds)脱退。ウカチン曰く「音楽性の違いと簡単に言うけれど、本当にそれだけだったかも。特に揉めず、少しずつ好きな音楽もみんなと離れつつあったし。全員でそう判断した結果の脱退でした」と。これ以後、ドラムにサポートを迎えGLAYと同じスタイル(ボーカル、ギター×2、ベース、サポートドラム)で活動していく。

【当時よく聴いていた音楽】
竜二⇒フィッシュマンズ
山内⇒ダンスミュージック(house、deep house、garage、jazz(crossover))、レゲエ、ダブ
マサ(キャンディ)⇒DRY&HEAVY、MUTE?BEAT、ダブ、レゲエ
俊司⇒小向定(SADAM)、James Iha、Carole King、峰厚介・秋山一将、日本JAZZのライブ
ウカチン⇒Healing Music、エレクトロニカ、サイグレッシブトランス

▲「30分でじっくり知る編」

転機

『スターサーカス』リリース後も定期的に名古屋と東京でライブを続けていた彼らは、徐々に東京での飲み友達を増やしていく。その中でも現所属事務所のYとの出会いが、彼らの人生を大きく変える。何度も朝まで飲み明かしたYがある日「自分ら色んな事務所から声かかってるでしょ?え?かかってへんの?マジで?うちの副社長T(現・代表)、今度ライブ連れてくわ」と。その言葉通り、翌月の下北沢CLUB QUEでのライブをTが視察。この事務所がGOING UNDER GROUNDの所属事務所の親会社だったということもあり、GOING UNDER GROUND松本素生からアロウズの噂を聞いていたTは、すぐに名古屋に彼らを訪ね将来への展望を熱く語り、彼らのホーム・名古屋市東区泉・高岳のスカイラークで固いシェイクハンドを交わしたのだった。その頃ウカチンは、串カツ屋での勤務を適当にこなし、よく飲み、よく遊び、よくレイヴに行き、自由気ままな生活を満喫中だったものの、ドラムを叩くことは止めておらず、レッスンには通い続けていた。

【当時よく聴いていた音楽】
竜二⇒フィッシュマンズ、ハナレグミ、ポラリス
山内⇒ダンスミュージック、レゲエ、ダブ、SOUL
マサ(キャンディ)⇒マーヴィン・ゲイ、SOUL、R&B
俊司⇒ミルトン・ナシメント、ブラジル物
ウカチン⇒サイグレッシブトランス、アブストラクト

▲「30分でじっくり知る編」

メジャーデビュー前後

2005年8月にはレーベルを移籍しての3rdアルバム『昨日 今日 トゥモロー』、同12月と2006年3月には所属事務所内に自主レーベルを立ち上げシングル『イエスタデイワンスモアーズ』と『二人三月』をリリース。この3rdアルバムをリリース後、マサはキャンディと呼ばれることになる。そのくだりは……処は東京・某飲み屋。シチュエーションはマサと元・初恋の嵐のベーシスト、隅倉氏がカウンターに。マサ「隅倉さん、僕、地味なんですけど、どうにかインパクト出したいです。何とかできないですか?」。隅倉氏「うーん、じゃ名前変えたら?」。マサ「どんな名前がいいですか?」。隅倉氏「ミドルネーム入れなよ。マサのベースって何色だっけ?」。マサ「キャンディ・レッドです」。隅倉氏「じゃキャンディね」。マサ「はい。ありがとうございます」……ここに坂井“キャンディ”昌英が誕生した。ミドルネームの公式理由「人からナメられるのが大好き」は、もちろん後付けであるが、キャンディの本音でもある。さてそんな2005年の年末にはCOUNTDOWN JAPAN05/06に初出演。アーティストエリアのケータリングに感動し、出番が最初だったこともありライブ後は大いに飲み食い。この時期、キャンディのボディが80キロを超え90キロの大台目前に。さらにこの時期から、数年に渡ったマイペースな歩みが急激に加速し始め、2006年5月、『ナイトコール』でポニーキャニオン/ROCKER ROOMよりメジャーデビュー。「踊れて泣けるダンスロックバンド!」というキャッチフレーズを掲げ「ライブが凄い」との噂が立ち始めたのもこの時期で、2006年夏にはROCK IN JAPAN FES.2006に出演、全国からイベントのオファーを受け出演、東名阪ではワンマンライブも行い、各地で竜二のライブパフォーマンスへの「キモ・カッコいい!」との噂が立つ。7月、インディーズ時代の楽曲を再レコーディングしたものに新曲を加えた、インディーズベストといえるアルバム『ARROW HELLO WONDERFUL WORLD』を、11月には2ndシングル『マストピープル』をリリースする。その頃ウカチンは、名古屋のいくつかのバンドでのかけ持ちをキッカケに、頻繁なライブ活動やレコーディングが始まり忙しくなり、遊びにも行けなくなり、自分は何が一番やりたいのか分からなくなり悩む。

▲「30分でじっくり知る編」

2007年

2006年末、というより2007年元旦、COUNTDOWN JAPAN06/07への出演を果たし、巨大バルーンを客席に放つ演出も好評だったライブ後は、2年連続となる充実したケータリングで酔いどれと化し、幸先の良い新年を迎える。1月末〜2月頭にかけて「完全マストピープル」と題した東名阪クアトロワンマンツアーを行う。この時の東京公演で『さよならミュージック』の原型を披露。その後、インディーズ時代に竜二が初めて作ったオリジナル曲『ONE NIGHT STAR』を、山内がトラックメイキングを行い2月にリリース。そんなリリースの影で、メンバーはアルバムに向けて徐々に楽曲制作&プリプロ&レコーディングを進めていく。4月、友人関係にあるクラウドベリージャムとの対バンを名古屋で行い、アンコールの最後でクラウドベリージャムの『THIS AND THAT』を2バンドで一緒に演奏。これがキッカケで11月発売の5thシングル『さよならミュージック』のカップリング曲『THIS AND THAT(with CLOUDBERRY JAM)』が誕生。6月に発売した4thシングル『ロックンロールファンファーレ』では、WACK WACK RYHTHM BANDのホーン隊をフィーチャー。5月〜7月にかけては、バンドとして初の大規模全国ツアーを行い毎回ライブ後に打ち上げ&反省会。飲み、食い、悩み、楽しみ、苦しんだ貴重な体験をする。7月、liquidroom ebisuでツアーファイナル成功。8月、ROCK IN JAPAN FES.2007へ2年連続出演を果たし、最終日のWING TENTのトリを務める。9月、インディーズ時代から行ってきた「N2B GUITAR MUTATION」の拡大版「N2B FESTIVAL MUTATION」を名古屋ダイアモンドホールで行い、GOING UNDER GROUND、オオヤユウスケ、NIRGILIS、tobaccojuice、CRYSTAL(Traks boys)、DE DE MOUSE、T-AK、DJ敷島、そしてダイノジらと大いに盛り上がる。11月、ダンスロックバンドと評されてきた彼らのルーツが色濃く出た5thシングル『さよならミュージック』を満を持してリリースし、12月にはメジャーデビュー後に生み出した新曲ばかりで構成したアルバム『GUIDANCE FOR LOVERS』を自信を持って発表。『さよならミュージック』はFM802を始めとしたFM&TV等で大量オンエアされ、ダイノジが友情出演したTV-CFも話題となる。年末、3年連続となるCOUNTDOWN JAPAN07/08への出演を果たす。この年末のある日、竜二からウカチンに一本の電話「最近何してる?今度久しぶりに一緒にスタジオ入ろうよ」と。その後、俊司からもウカチンに「一回会おう」との誘いの電話。だが、ウカチン曰く「俊司から誘いの電話は最初、お腹の調子が悪くお手洗いにこもっていたので出れず、かけ直したら不通で、やっと繋がったと思ったら俊司も腹を下して厠に詰めていたというシンクロニシティだった。その晩早速、俊司とキャンディと3人で会うことになり、待合せの場所に行くとキャンディがおらず、理由を聞くとゲーリーでパンツ交換のためコンビニに走っているという、なんという胃腸の弱いバンドなんだ!と呆れたけど、結局その日全員からまた一緒にバンドをやりたいという言葉をもらった」と。この時、ウカチン即答できずも「むちゃくちゃ嬉しかった」とも。

▲「30分でじっくり知る編」

2008年

正月の名古屋にて、5人でリハーサルスタジオに入り遊ぶ。その時「心の中に答えは出ていた」というウカチンだが、職場や生活のことを整理する時間を置き、1月末「一緒に頑張りたい」と4人に意思を伝える。その後バンドは2月から3月にかけて、アルバム『GUIDANCE FOR LOVERS』のレコ発ツアーを全国7箇所で行う(ドラマーにはunkie等で活躍する城戸紘志がサポートに)。2月末、ウカチンをドラマーに迎え、出身高校である松蔭高校の卒業式で卒業生のためにサプライズライブを行う。4月頭からはウカチンを含めた5人で名古屋の某スタジオでの2週間の合宿を行い、途中バーベキューなどの息抜きも挟みつつ、次々と新曲を生み出し、その勢いで5月後半にはレコーディング終了。5月末、地元名古屋でのイベント「SAKAE SP-RING 2008」のステージでウカチンの正式加入を発表。7月23日に新生アロウズとしての初音源となるミニアルバム『Clap Your Hands!!』のリリースが控える中、6月から7月にかけて全国8本のイベントツアーを行いライブで新曲を磨く日々に突入する。

▲「30分でじっくり知る編」

2009年

2009年2月メジャー3枚目のアルバム「アロイ」をリリース。
3月彼ら主催のパーティー「N2B guitar mutation」をもう1度原点に戻るべく名古屋club JB'Sに移す。
7月日韓合作映画「カフェソウル」の主題歌となったシングル「FREE AND SHIP」をリリース。
10月11日のN2Bをもってギターの岩原俊司が脱退。

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